君はきらきらを背負(しょ)ってない

「『なんていうか、ちょっと重いって言うのかな。僕のために色々してくれるのはありがたいんだけど、それが逆に重荷になるって言うか、君とはもう少し気軽な感じで付き合いたいなって。だから、ごめんね』。だってさ⁉ まただよ! 僕は好きな人のためを思って尽くしているだけなのに、なんでいっつもフラれるんだあぁぁぁ‼」
「そうか。大変だったな」
「しかも数日後に学校で見かけたらさ、もう別の女の子と親しげに歩いてるわけ。え、嘘、早くない⁉ ってなったよね! まぁ、アレだけイケメンなら誰だって選び放題だとは思うけどさぁ! ……あれ? むしろ男の僕と、一時的に付き合ってくれただけでも奇跡?」
「落ち着け、昴(すばる) 。やけ食いもその辺にしとけ」
「いや、ムギ! 僕はまだ食べる! この悲しみを甘味で癒すんだぁ!」
「カラオケなんだから、せめて歌って発散しろよ。もしかして、意外に元気なんじゃないか?」
「げんきじゃないぃっ!」
 盛大に叫びながら、僕は机に突っ伏した。視界の端に僕の栗色の前髪が映る。ああ、元カレはこの明るめの髪色も好きだと言ってくれたなぁ。悲しみと虚しさで視界が歪む。散々詰め込んだお菓子やらパフェやらで胃は重たいし、なんだか頭もぐらぐらする。心臓は失恋の悲しみでぎゅっと締めつけられるように痛んだ。このハイテンションは元気なんじゃなくて、叫ばなきゃやってられないからである。カラオケルームの中はいくら叫ぼうが誰にも迷惑がかからない。僕の目の前に座る、友人以外には。
「分かってる分かってる。とにかく、ほらジュースでも飲め」
「ムギ! ありがと――って、これお水じゃん⁉」
 中身を確かめもせず、受け取ったグラスを勢い良くあおってみれば、冷たいだけで味のしない液体だった。怒る僕にスッキリしただろ、と友人の大木麦人(おおき むぎと)は悪びれもせず呟く。糸目とまではいかないが細くて黒い瞳が、僕をじっと見つめていた。失恋した友人を慰めている視線には思えないけど、なんていうか、こちらが情緒不安定だと冷静な眼差しが酷く安心感を覚える。水のせいかムギの視線のせいか、少し落ち着きを取り戻した僕はずびっと鼻をすする。
僕の恋愛対象が男性だと知っているのは、身内を除けばムギだけだ。きっかけは確か高校に入学したばかりの頃、傷心中の僕が誰もいない公園で泣いていた時に、ムギが声をかけてくれたのがきっかけだ。あれから一年以上経った今も、僕はフラれる度にこうしてムギを呼び出し愚痴に付き合ってもらっている。
「年明け早々フラれるなんて……。え? 我ながらフラれすぎじゃない? 相手に彼女がいたパターンも含めると、高校に入ってから十回以上は失恋してるんだけど。四月からは受験も意識しなきゃなんないのに、心の潤いが……。いい加減幸せになりたい」
 でろっと目から溢れて頬を伝ったのは、生温かい液体だった。あ、涙腺がついにバカになった。滝のように溢れてくる僕の涙と鼻水を見て、ムギが無言でポケットティッシュを差し出した。潤んだ視界越しに見上げたムギは、眉をひそめて何とも言いがたい表情をしている。
「惚れる相手が毎回悪いよな。今回はテニス部のエース、その前は学校一のイケメンだろ? いかにも競争率高そうだったしな。まぁ、きっとお前にもいつか春が来るさ。――あ、俺もチョコパフェ食べよ」
 ムギはそう言うと、マイペースに飲食メニューを眺め始める。おい、泣いている友人を目の前に薄情にもほどがあるぞ。僕の顔がぐしゃぐしゃなのを分かってて、店員さんを呼ぶ気か。
「お前、その行動はないだろ……」
 僕はとりあえずポケットティッシュを鷲掴むと、机の上でクロスした両腕へ顔を埋める。本当はこうして、黙って愚痴を聞いてくれてるだけでも十分なんだろう。だけど、弱っている時はとことん甘やかして欲しいんだよ。分かれよ。
「お前の好きなレモンシャーベットも頼んどくから、許せ」
「どうせそれも僕の奢りじゃん⁉ 僕の少ないバイト代が消えていくぅ!」
「おー、そうやって泣いとけ。顔を隠していれば誰にも見えねぇよ」
 ムギはそう言って、僕の顔の前に少し開いた状態のメニューを立てた。ちょうどそれが壁となって、入口からは僕の顔が見えなくなる形だ。なんだ、一応気を遣ってくれたのか。
「……ありがと」
「おー」
 ムギが気のない相槌を打った瞬間、メニューが倒れて僕の頭に覆い被さった。前言撤回だ、このやろう。でもこの間抜けな状況が逆に笑えてきて、僕は我慢できずに噴き出してしまった。

 繰り返し鳴らされるインターフォンに、僕は目覚めて早々キレそうになる。誰だよ、休日の朝っぱらからピンポンピンポン鳴らしてるのは。頭が酷く痛み、堪らず額を押さえた。昨日は失恋で傷ついた心を癒そうと夜更かししすぎた。カラオケでのやけ食いの反動で胃も苦しい。しかしこの訪問者は、誰かが出てくるまでインターフォンを押すのを止めないらしい。こんなことをするのは、身内(アイツ)しかいない。あーもう、父さんも母さんも仕事でいないのかよ。えずきながら立ち上がり、壁に体重を預けながら階段を下りて一階の玄関へ向かう。昨日脱ぎ捨てたコートをつま先で雑に避け、サンダルを片足だけ突っ込んで鍵を開けた。
「おっそい、昴! 早く出なさいよ」
「やっぱり、ねぇちゃんか! 何しに来たんだよ」
 現れた顔に、僕は眉を思い切り顰める。アーモンド形の大きな瞳に小さな鼻と唇は、僕とよく似ている。二つ上の姉、空賀星奈(くが ほしな)だ。この春大学生になって一人暮らしを始めたねぇちゃんは、覚えたメイクで顔の印象を変化させていた。キリリと凛々しく書かれた眉毛が、気の強い性格をよく表している。
「何よ、実家に帰ってきちゃ悪いの? この前冬休みに行った旅行のお土産も渡したかったから、ちょっと寄ってみたのよ」
「だったら、普通に鍵開けて入れよ」
「うっかり実家の鍵、家に置いてきちゃったのよ」
 相変わらずおっちょこちょいなねぇちゃんは不貞腐れたように呟くと、視線を僕の後ろへ移動させてぎょっと目を剥く。どうやら脱ぎ散らかしたコートや靴下、中身が出て、横倒しになったリュックなどが目に入ったらしい。
「うわっ⁉︎ 何よこれ……分かった! アンタまたフラれて荒れてたんでしょ⁉︎ 懲りないわねぇ、もう」
「ばっ……余計なこと言うなよ! 声が大きい」
 ご近所さんの目があるんだから、大声でフラれたは止めてほしい。慌てて僕はねぇちゃんを家の中へと押し込んだ。
「ほら、お饅頭とお煎餅。あと、こっちのシフォンケーキは気まぐれで作ったやつだから、今日のおやつにでも食べちゃいなさいよ」
 ねぇちゃんは持っていた紙袋を、リビングのテーブルの上に置く。やった、ねぇちゃんのシフォンケーキだ。僕も料理は得意な方だが、ねぇちゃんのシフォンケーキは格別だ。登場した好物にいくらか溜飲が下がる。ねぇちゃんは鼻で息を吐き、呆れたようなまなざしで僕を見た。
「フラれた相手は、またいつものキラキラ王子様系でしょ? 昴の好みって分かりやすいのよね」
「わ、悪い?」
「しかもいっつも一目惚れ。だから失敗するんでしょ」
 容赦のないねぇちゃんの一言が、僕の胸にナイフのように突き刺さる。そう言う人がタイプなんだから仕方ないだろ。僕は今まで恋をした、光り輝くようなイケメンたちを思い浮かべる。
僕の恋はいつだって突然だ。その人を見た瞬間、ぶわっと視界に無数の光の粒子が舞うのだ。もちろん、実際にその人が光を発しているわけじゃないけど、そうとしか表現できないくらい、僕の世界がキラキラと光り輝くもので満たされていく。恋をしている間は、心の底から幸せで身も心も宙に浮かぶようで、その人の笑顔がもっと見たくてたまらなくなってしまう。だから、なのだろうか。
「尽くして尽くして、ついでにちょこっと貢いだ挙句、びっくりするくらい短期間でフラれるのよねー」
 僕は堪らず呻き声を上げる。仲が良いというか、昔から僕を知り尽くしているねぇちゃんには、恋愛事情もバレバレだ。
「み、短い時間だったかもしれないけど、ちゃんと幸せだったから良いんだよ」
 僕の強がりに、ねぇちゃんは眉毛を下げて少し寂しげな顔をする。
「なんていうかさ、アンタみたいな可愛い系の……子犬みたいな子がさ、自分のことを『好き好き大好き』って懐いて全力で尽くしてくれていると、多分、調子に乗っちゃう子も多いんだろうね。だけど最初はノリで付き合ってくれてても、だんだんアンタから与えられる愛情が怖くて逃げ出したくなっちゃうんだよ。一言で言うと、昴の愛は重い」
 え、そんなぁ。容赦ない指摘に僕はがっくりと項垂れる。
「でも僕だって、そこまで全力で相手に尽くしてるわけじゃないよ。できないこともあるし、そこまで人間出来てないし」
「アンタがどんなつもりかは知らないけど、そう見えるって言ってんの! 今はまだ良いけど、いつかボロボロにならないか心配だわ」
 ねぇちゃんは深いため息を吐いて、首を横に振る。なんだそりゃ。釣られてため息をこぼしつつ、僕は冷蔵庫を開ける。端の方に残ったペットボトルのコーラとトロトロ系のプリンは、数日前にお別れした元カレの好物だ。陰鬱な気持ちになって、更に深いため息を吐く。全部ねぇちゃんにあげて消費してもらおうかなぁ。プリンを手に取って賞味期限を確認していると、背中からパンと威勢のいい音がした。何事かと顔を上げてみれば、ねぇちゃんが両手を合わせて顔を明るく輝かせている。
「そうだ! アンタ、麦人くんと恋愛すれば良いんじゃない?」
「は?」
 意外過ぎる名前に、目を丸くした。僕と同じ高校に通っていたねぇちゃんは、当然ムギとも顔を合わせている。だけど、なんでムギと僕が。細目で黒髪の地味な友人の顔が頭に浮かび、僕は思わず噴き出した。
「え、ムギと恋愛? あははははっ! ないない! だってあいつ、僕の好みと真逆じゃん。ムギも普通に女の子が好きだろうし、ありえないって。友達としては好きだけどさ、全然恋愛対象じゃないよ」
 だからこそ、こうして気軽に呼び出して失恋の愚痴を聞いてもらっているのだ。失恋したところを慰めてもらうというシチュエーションに加え、同じクラスで学校でも頻繁に顔を合わせている。恋に落ちるならとっくに落ちてる。まだってことは、そう言うことなのだ。
「えー? 麦人くんなら、恋に暴走しがちなアンタのことを冷静に受け止めてくれそうだし、恋人になったら大事にしてくれそうじゃない? アンタ相変わらず失恋の愚痴聞いてもらってるんでしょ。真面目だし、なんていうか……旦那にしたいタイプだわ」
「え? ねぇちゃん、ムギのこと好きなの? んー、でもムギがお兄ちゃんになるのはなんか嫌だなぁ」
 どうしてそういうことになんのよ。突っ込みと共にねぇちゃんが飛ばしたクッションを、僕はまともに顔面で受け止めてしまった。
「良いからちょっと考えてみなさいよ。また厄介な相手に惚れる前にさ」
 そんなことを言われても、タイプじゃないものはタイプじゃないのだ。クッションを両腕で抱きかかえ、僕は思い切り眉を顰めた。

(後略)